ミソスープ
いきものがかりが好き、と言ったら、「あー好きそう!」と言われることがよくあります。
いきものがかりが好きそうな人ってどんな人だ。
おおらかで、優しくて、トガってなくて、光属性か闇属性かで言うと光。でもパリピではない。
こんなかんじかな。
いきものがかりがはちゃめちゃな勢いでCDを出していた2008年頃、わたしのiPodからは常に彼らの曲が流れていた。
生まれて初めて行ったアーティストのライブもいきものがかりだった。
吹奏楽部の演奏会で何度も踏んだ地元のコンサートホールのステージが別世界みたいになっていて、キヨエちゃんがステージの端から端まで駆け回っていた。
「花は桜 君は美し」のイントロがきらきら流れ出したとき、会場中の人が「きた……!」とばかりに息を呑んだ雰囲気を、今でも覚えている。
それから十年以上、常に新曲を、最新情報を追っていたわけでは決してない。
新曲も新アルバムも聞かなかった時期もあるし、もっと夢中で好きでいるものもいくらでもある。
気持ちが落ち込みがちな時期は彼らの曲が持つ前向きなエネルギーがしんどくて、シャッフル再生で流れてきても飛ばしてしまったりもする。
それでも、2017年の放牧(活動休止)はショックだったし、集牧(活動再開)したときには涙が出るほど嬉しかったし、集牧直後の紅白歌合戦はそれはもうテレビにしがみつくようにして観た。
そんないきものがかりが、三人から二人になるらしい。
さみしいなあ。
好きなアイドルが卒業する、とかとは、また違った寂しさがあった。
率直に言うと、ショックだった。
でも、公式サイトに載っているそれぞれのコメントを読んだら、さみしいのはさみしいけれど、不思議なあたたかい気持ちにもなった。
彼らの紡ぐ言葉はいつもやさしくて美しいと思う。
歌詞だけではなくて、こういうときのコメントもぜんぶ。
インターネットに文章を載せていると「読みやすくて好き」とか「文章のリズムが心地よい」とか褒めていただけることがときどきあるけれど、たぶん、いきものがかりの言葉の選び方、使い方に影響を受けている部分があるなあって最近気づいた。
十年以上ずっと口ずさんできてるんだから、そりゃあ影響受けますよ。
いきものがかりはずっと三人だと思っていた。
ずっとずっと、「もうおじさんおばさんじゃん」って言われるようになっても、三人でいるものだと思っていた。
でもそうじゃないんだなあ。
心の中の、「熱を上げて追いかけているわけではないけれど、ずっと好きでずっとそこにあると思っている」みたいな場所に置いていたものが、こうしてかたちを変えてしまうとき、大人になるってこういうことなのかなあと思ったりしてしまいます。
タイトルの「ミソスープ」は「ほっちの作ったうたって何があるかな」と考えたときに最初に出てきた「@miso soup」から取りました。
ユーモラスでかわいくて心が切なくあったかくなる、大好きな曲です。