続・おやつカルパス

さくぶんれんしゅうちょう

わたしの幸運の話 〜舞台『ハリーポッターと呪いの子』感想文〜

この世の中は繊細さがない場所だよ。

だけと、それでもごくたまに、君をわかってくれる人はいる。わかってくれてる気がするものを、観ることもある。

 

もしも子供の頃にこの作品に出会っていたら、わたしの人生は今よりもう1センチでも、1ミリでも、良い方に向かっていたのではないか。

 

(引用元:ハケンアニメ! )

 

帰り道に、この言葉を思い出しました。

 

わたしは幸運だと思う。

「人生をもう1センチでも、1ミリでも、良い方向に」向かわせることができるものに、子供の頃に出会うことができた。

一緒に成長できた。

彼らとその世界は、わたしにとって「自分をわかってくれてる気がするもの」だった。

 

そして今でも、わたしのこの幸運な喜びをわかってくれる人が本当に沢山いる。わかってくれる気がするものを、創り続けてくれている。同じようにあの世界に魅せられた人たちが創ったものから、「わかってるよ、一緒の気持ちだよ」と伝わってくる。

そして、それらを一緒に楽しむ友達もいる。

 

 

前置きが長くなりましたが、舞台「ハリーポッターと呪いの子」を観に行きました。

 

なかなかチケットが取れなくて、プレビュー公演から数ヶ月経った今!! やっと!! ついに!! 観に行きました!!

 

 

生まれて初めての生観劇。

それが20年間人生にずっと寄り添ってきてくれたハリーポッターシリーズの作品で、本当に良かった。

 

ハリーポッターシリーズには老若男女たくさんのファンが居るけれど、その中でも「ハリーと一緒に成長できた世代」という点で、わたしと同世代のファンたちはとても幸運だと思う。

大人になってからハリーポッターに出会った人も、これからハリーポッターに出会う子供たちも、「新作(小説・映画)にわくわくしながら一年間学校生活を過ごす」「次にハリーに会うときは、ハリーも自分たちも同じように学年がひとつ上がっている」という体験はできないのだから。

 

そしてそうやって一緒に成長してきたハリー・ポッターが、数年の時を経て、わたしたちと同じように大人になって舞台の上に現れた。

 

ハリーはめちゃくちゃカッコ良くなってたし(向井理ハリー、脚どんだけ長いの? 顔小さすぎん? プロポーションが二次元だった)、事前情報によると子供が3人もいて仕事でも偉くなってるらしい。なんだか遠くに行ってしまったみたいな気がしていた。

でも目の前に現れた彼はたしかにスタイルいいし子供の頃よりもスマートに魔法を使うけれど、勉強が好きじゃなかったのと同じようにデスクワークは苦手そう。相変わらず視野が狭くて無茶も無謀もするし、キレたら言っちゃいけないこと言ってしまったりもする。

そしてロンやハーマイオニーとは変わらず仲が良くて、3人揃うとあの頃と同じ空気で喋っちゃう。

 

なんだ、わたしたちと変わらないじゃんって、ちょっと安心した。大人になって変わった部分もあるけど、変わらない部分も沢山ある。

 

数年前に脚本版が出版されて読んだときは、わたしも数年若かったから「おいおいハリー大人になれよ……」って思ったりもしたけど。

そう簡単に大人になったりできないんだよねー……って思うくらいの歳になって観た37歳のハリー・ポッターは、あまりにも懐かしくて愛おしかった。

 

そして舞台ハリポタは、その手の感傷だけでは終わらない。

目の前で次々に起こる、魔法の数々。

それがもう、本当にすごい。

劇場の仕掛けや、大道具小道具、光と音の演出、そして役者さん自身の生身の身体能力……。ありとあらゆるものを使って、魔法の世界が表現されていた。

「どうやってるの?」って考えるのを、途中で辞めた。だって本当に魔法だと思うから。

 

残念ながらこの世界には魔法なんてないことは理解しているけれど、じゃああの信じられないようなことが次々と目の前で起こった時間と空間は一体何なのだろう。

手品と同じでトリックや仕掛けがあるんだよ、お金かけて劇場を改修して大道具を作ったんだよって、多くの人はきっと言う。

でもこの舞台にお金をかけようって思う人がいなければ改修なんてできないし、お金があったってあの演出に必要な仕掛けを考える人がいなければ舞台装置なんてできないし、舞台装置があったところで演じる人がいなければ舞台にはならない。そして演じる人たちも彼らを支える人たちも、半端な稽古量ではあの目を見張るような世界観は表現できないだろう。

沢山の人が沢山のエネルギーを、たった一つの作品に注いでいる。それだけ沢山のエネルギーがないと成立しない舞台って、それそのものが魔法みたいな奇跡だなぁと、わたしは思うわけです。

 

 

ハリーポッターの舞台を日本でも上演する」と報じられたのは、いつだっただろうか。

「絶対観に行く!」と意気込むわたしに、「日本人キャストなんでしょ? ダニエル・ラドクリフじゃないんでしょ?」「ハリーが主人公じゃないんでしょ?」って言う人がいた。

わたしはその問いにうまく答えられなかった。

「それはそうなんだけどさ、キャストとかストーリーとかは置いといて、魔法が舞台だとどんなふうになるのかとか、観たいじゃん」

そうやって、自分が観たいはずの舞台の演者や物語を下げる言い方しかできなかった。

 

今だったら、「主人公がハリーじゃなくても、ハリーを演じるのがダニエルじゃなくても、あの舞台は間違いなく"ハリーポッターシリーズの最新作"だ」って胸を張って言える。なんなら「本当にすごいから、是非観てほしい!」まで付け加える。

 

それくらい、本当に素晴らしい舞台で、それを生で観ることができたのは本当に本当に幸せなことだと思う。

 

半年後になるか一年後になるか二年後になるか、はたまた十年後になるかわからないけれど、必ずもう一度観に行きたいと強く思った。いや、本音を言えば一度と言わず二度、三度と繰り返し観たい!

 

いつかまたあの赤坂の街とACTシアターに訪れるときがきたら、きっとわたしは「ただいま」と思うんだろうな。

 

一泊二日の観劇旅行を終えた今、そんな日を夢見ながら、わたしは日常を過ごしている。

一見以前と何も変わっていないけれど、いつかこの経験を振り返った時に、「あの舞台が転機だったな」と思うような、そんな気がしています。

 

 

おわり。